ここなの&Me ~ハハコ3人、おおむねしあわせ。(だけどね)

シングルマザー歴5年目、"marriage agency 海辺のスナック"始めました。

個人的なことと、全体的なこと

f:id:coco-nano:20200318084640j:image

世の中は不穏な黒い雲に覆い尽くされているようだ。

菜の花は満開だし桜も咲きはじめてるのにね。

 

個人的なことでいうと、バレンタインデー前日、区切りのない感じでつるりと離婚記念日が通り過ぎて行った。シングルマザーになって丸2年がたったのか。

 

だけど無意識のうちに過ぎたということはなく、強烈にその日は意識していた。そしてその日を挟んだ前後1ヵ月ほどは、体調もメンタルも乱れまくる絶不調期間だった。

 

ココナノが次々に風邪ひいて、私は会社早退・休んで看病に翻弄される。当然のように次は私に移り、咳が止まらない。じんわりした頭痛がしつこく続く。4月からの仕事はどうなるのか。本当に正社員(or非正規ていう呼称はほんとムカつくけど)になれるのか。有給はもう使い切って欠勤続き。

 

そして、体調が悪いと、離婚当時のどろどろした感情が次々にフラッシュバックしてくる。なんでわざわざそんなもの引っ張り出して反芻して怒ったり泣いたりしてんだ!ってわかっていながらも自己憐憫に浸るのをやめられない。

 

デトックスしてたんだな。

 

体調が回復して、4月からの正社員化にあたっての面談の知らせがあると、なんて単純な自分!あきれて笑っちゃうほどに明るい日常が戻った。

 
 
 
 
 
View this post on Instagram
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

A post shared by 片井和美 (@kazumi_katai)

 

というところで、降ってわいたコロナ騒動。

「えっ?月曜日から一斉休校ですと???」と急展開にあっけにとられているうちに、バタバタといろんなイベントが縮小や中止に。

 

私が出入りしている?シングルマザー支援協会にも「休校の影響は?皆さんどれだけ困ってますか?」と各方面から取材が相次いだらしい。

 

ありがたいことに、いろんな方から「お子さん大丈夫?」とご心配いただいた。

だけど「ありがとう、うちは全然大丈夫!」

 

休校の意味は?と疑問は残るが、学童と保育園は開いているので、実際ありがたくお世話になっている。

 

小1のココは、学校の替わりに1日学童にいる。春休みがだいぶ長くなって1か月以上お弁当作りかい!ってげんなりがあるくらいで。しかも「自分でつくる!」に目覚め(チンして詰めるが主だけど)かえって喜ばしい変化。

 

長ナノの保育園は、先日の卒園式を挟み、3月末まで開所、4月からはココと同じ学童へ。

 

私の会社は時差通勤推奨、在宅勤務できる部署は推奨、だけどうちの部署は在宅できないので、ちらほら時差通勤するくらい。

 

というふうに私周りでは大きな困りごとはなく日常が続いてる。

 

テレワーク、ネット学習サービスも拡充して、毎日会社や学校にいかなくてもいいんでは?ってみんな気づき始めて。

アフターコロナ、世界が一変するかもね。

 

だけど世界は不安定などす黒い雲に覆われてる。

街はシーンとしてる。

9割の人がマスク姿。

自粛ムード。

同調圧力

不謹慎。

買占め。

株価暴落。

倒産。

雇い止め。

 

私の楽観は、主観に過ぎないこともわかってる。

立場や環境が変われば、平常心でいられない日々だろう。

ちょっと前の体調不良の最中に勃発していたら、私だってネガティブ思考まっしぐらだったに違いない。

 

うちはたまたま低学年と保育園児だったから預け先があったまでで。

勉強の進み具合なんてまだまだ気にせずにいられるからで。

たまたま雇止めが起こらなかっただけで。

たまたま既往症がなかっただけで。

病院で配膳のパートをする、年老いた母のことが心配だ。

 

だけど多くの人は、病気そのものよりも、自分が発生源になることを恐れているように思う。

私だってそうだ。

だから、父の一周忌が過ぎる4月に予定していた、海洋散骨を延期した。

まさに横浜港のクルーズ船というピンポイント。

日頃、風評被害に憤り、経済回してこうよ、という方向性の私も、自分がもし発生源になったら、と想像すると恐ろしくて行動を制限する。

 

もし、自分が発生源になったら。

「都内のシングルマザーシェアハウスに住む…」とさらされ、会社も閉鎖。学童も小学校も閉鎖。怖い。怖すぎる。

 

だけど、楽観してようと悲観してようと毎日はいつもの顔して淡々とやってくる。

 

 
 
 
 
 
View this post on Instagram
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

A post shared by 片井和美 (@kazumi_katai)

 

 緊急事態宣言で、散歩もできなくなったらしんどいね。

 

不要不急なことがしたくて、生きてるのにね。

 

今日はなんの日?

今日、1月25日は旧正月新月らしいですね。

今日から新しいことが始まるらしい。

 

私にとっては、今日は終わりの始まり記念日。

 

coco-nano.hatenablog.com

 2年前の今日、新たな運命の扉がひらいた…!!

 

結果、2年後の今日という日を生きていることに、感謝しているのです。

 

トラウマなんてものはない。

「いま、ここ」にしか私はいない。私の「いま」が過去を決める。

運命とは、自らの手でつくり上げるもの。

 

…そう、アドラーですね。

大ベストセラーの「嫌われる勇気」「幸せになる勇気」を、今更ながら立て続けに読んで、五臓六腑に落ちまくっているのです。

https://www.instagram.com/p/B7ZoYWfFBpL/

日々そりゃ困難や課題はある。喜と楽だけじゃなく、怒も哀もたっぷりある。だけど、どんな事象が起ころうと私の人生はシンプルで、生きづらさ、というものを感じることがない。いつからかそんな風に思えているのは、いろんな人や文章との出会いで、知らず知らずアドラー流思想に寄っていたからかも。そしてそれはキリスト教の思想にも通じるものだった。ー「神よ、願わくばわたしに、変えることのできない物事を受け入れる落ち着きと、変えることのできる物事を変える勇気と、その違いを常に見分ける知恵とをさずけたまえ。」…そう、われわれはなにかの能力が足りないのではありません。ただ"勇気”が足りていない。すべては"勇気"の問題なのです。ー過去にどんなことがあったかなど、あなたの「いま、ここ」にはなんの関係もないし、未来がどうであるかなど「いま、ここ」で考える問題ではない。ー人生における最大の嘘、それは「いま、ここ」を生きないことです。

https://www.instagram.com/p/B7pBJZVlWTB/

子育てで肝に銘じておくこと。あらゆる人との縦の関係を否定する。横の関係を築く。自分の子どもにおいても同じこと。私は誰からも支配されないし、誰のことも支配することはできない。目の前の子どもを、他の誰とも同じように、尊敬して信頼する。尊敬とは、人間の姿をありのままに見て、その人が唯一無二の存在であることを知る能力のこと。信頼とは、無条件に信じること。叱らない。褒めない。勇気づける。叱るのは、コミュニケーションを放棄して、相手を威嚇して支配しようと楽をする未熟な行為。 …って、読んだそばから子どもをめっちゃ叱ってしまう、難しい…けど。いつも思い出そう。幸せになる勇気。承認欲求の否定。「わたし」の価値を他者に決めてもらう、それは依存。「わたし」の価値を自ら決定すること、これを「自立」と呼ぶ。子ども時代の生存戦略「愛されるためのライフスタイル」との決別。「愛すること」を選ぶ。愛する勇気、すなわちそれは幸せになる勇気。全ての悩みは対人関係にある、とアドラーは言う。ならば、逆もまた然り。幸せは、自立して自分の人生を生きながら、自分を愛するように他者を愛して共同体感覚をもつ=自分の居場所を実感すること…なのかな。人生は続く。幸せになるために。

 

子どもたちと、毎日毎日「ママだいすき」「ママもだいすきだよ」「宇宙でいちばんだいすき」「可愛いカワイイ!!」とハグしあってほっぺをくっつけあって、ようやるわ、って冷静な自分なんかどっかに吹き飛んじゃって。こんな幸せってあるだろうか。

 

ただただ「私たちは、大丈夫」っていう、不思議なほどの安心感がある。

 

昨日、高校時代ダンス部(恥)親友たちと旧暦忘年会。

ひとりは、既婚、子どもなし。

ひとりは、離婚1回、再婚、子どもあり。

ひとりは、離婚、子どもなし。

わたしは、離婚、子どもあり。

4人中3人離婚歴あり。で、見事に家族のステイタスはバラバラ。

 

誰がいちばん幸せか?って、どこの誰が言えるんだろう。

自分の幸せは、自分で決める。

 

私は「幸せになる道を選ぶ」って決めちゃえば、いま、この瞬間から幸せになれるんだよね。

 

さあ、今日から新しい日々が始まるよ!!

(ギリギリ今日に間に合った…)

 

 

 

 

YESTERDAY

元夫が謝罪したい、と言う。

昨日、2ヶ月ぶりの父子面会日。

シェアハウスの隣の棟に住む母も連れ、待ち合わせ場所に出向いた。

元夫は、前回同様、マルチーズの赤ちゃん(名前はミルク)を連れていた。子どもと別れ、寂しさに耐え切れず飼い始めたらしい。

ココナノの気をミルクでそらせ、「で?」

 

…離婚して一年半本当にご迷惑おかけしてます、この子たちを見てくださって本当にそれは感謝してます、ただ離れてみてまた一緒に家族で暮らしたいという思いがどんどん出てきて早くそうしたいと思いながらまだ借金を返し終わるのがすぐにどうこうというのは難しくてこうして東京に来るたびにやはり返済もどうのこうの、Meさんも今は誰に頼っているのかはわかりませんが

 

…はあ?

 

私は吠えた。日曜日の朝10時、閑静な住宅街の駅ターミナルにて。

 

全っ然、まっったくわかってないんだね、その思い違いを謝りに来たんじゃないの!?

 

coco-nano.hatenablog.com

 

私は結婚しない人生かも、と思ってた!

ひとりで生きていこうと思っていたし、ひとりで生きていけるんだよ!

今までも、これからも!

 

「まあまあ、感情的になっちゃダメ。」と母。

「『頼ってる』って、誰か特定の人に、経済的に、ってこと?それはないのよ。」

 

今度は私がハッとした。

 

…そうだ、母や、友だちや、シェアメイト、周りの大好きな人たちを、どれだけ頼りにして、心の支えにしているのか。

 

ひとりで生きてなんか、決してない。なにより、ココナノが私の支柱。精神の大黒柱

 

この人の日常からは、それが消えてしまったんだ。

 

「…その、結婚してたときに、私が浮気してた、不倫してた、とかいうのは?それも、まだそう思ってるの?」

 

「…それは、自分の思い違いでした、本当にすみませんでした。」

 

言った。

わからない。本当にそう思っているのかは、わからない。この人は他人だ。わかりようもない。でも、いい。その言葉が聞けたら、それでいい。

 

いや、やり直すとかまた一緒に暮らすとか無理ですよ(ていうか断固拒否だ)。

 

でも、私たち2人がこの子たちの親であるということは、一生続く。

世の中にこの人たちを放った共同責任。

 

互いに背を向けあったまま、憎しみあったまま生きるのはしんどすぎる。

 

親として、正面向いて、話すこと。それだけを、望んでいた。

 

これからは、それだけは、できるのかな。

 

これまでは、面会の連絡だけを母へショートメールで送ってもらうのみ、二人で直接の会話は回避していた。

 

週1回、face timeで子供たちと話せるように、こちらから電話をかける時間を決めた。

 

「義務だ!当然だ!」と振り込まれても黙っていたけど、本当は、養育費がきっちり約束の日に着金しているのを確認するたびホッとして、「今月もお疲れさん、ありがとう」って言いたかったんだ。

 

今日の予定は、海ほたるへのドライブだという。

帰りの引き取りの待ち合わせは16時。

 

私はこの機会にひとり映画…と思っていたら、母も?よし、行こう。

「ジョーカー」、「イエスタデイ」…昨夜までめっちゃ迷ってたが、いや、今はハッピーなの観たいな。

 
 
 
 
 
View this post on Instagram
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

A post shared by 片井和美 (@kazumi_katai)

 

清廉な空気を、胸いっぱいに吸い込んだ。

本、音楽、映画、写真、絵画、文章、物語。素晴らしいコンテンツに出合うと、

こんなに心を動かされるものを創り出す人間て、ほんと捨てたもんじゃない、と

人間を、生きることを、全肯定したくなる。

 

あの人が、この人が、こう思った、どう思ってる、どうしよう、とか、

そんなちっさいこと、まじでどうでもよくなる。

 

All you need is love.

 

 

何かを確かに卒業した。

昨日、4ヶ月通った日本シングルマザー支援協会「きぎょう塾」の卒業コンペだった。

https://www.instagram.com/p/B2tQ1TmlBo7/

会社の飲み会明け、半徹?で挑んだシングルマザー支援教会の卒業コンペ。最高の同期と打ち上げ、そしてひとり乾杯…は、会社の飲み会のなぜかじゃんけん大会で一人勝ち景品の紅白ワイン。まさかの…めっちゃ美味しいですけど!東京タワーも祝福してくれているよ…

同期4人の何が最高って、それぞれ修羅場をくぐり抜けてきた、いやまっ最中だったりと、段階は人それぞれ。だけど4ヶ月前に出会った時と今の「顔」の違いときたら。(もちろん私も含む。)きらっきらのピカー!めっちゃ笑って前向いてます。

とことん過去の、現在の自分に向き合って深掘りして、自分の未来を探求してきた4人それぞれの4ヶ月だった。みんな、よくしゃべって、号泣して、爆笑したなあ。

講師の江成さん、山木さんに言われたのは、「Meさんは、落ち着いたよね。攻撃性がなくなった。」同期メンバーのMさんいわく、「そうそう、初めて会った時、関西人の私よりめっちゃ喋る人おる〜ってびっくりしたわ!」と。…確かに。

 講義期間の中盤くらいで、なんだか電池切れたように思考停止して、もや〜としてた期間があった。そして、みんなの前で話しているうちに気づかされた。これまで、怒りパワーだけで突っ走ってきたけど、もう怒り燃料は切れてきたんだな。これからは、別の燃料…純粋な情熱、とかで走る時期が来たんだろう。怒りパワーだけで走っていたら、きっと希望のある場所には辿りつけない。

講師の山木さんと個人面談のような場において、言われた。

何だろうね、あなたの、その幼稚園男子みたいな、まっすぐ過ぎる正義感は。正しいと思う。でもね、その正論は、時に人を傷つける。何より自分を傷つける。

痛い!イタい!目からボロッボロ鱗やら何やら色んなものが落ちてきた。だけど、本当にその通りだ…。

私にとって、この「きぎょう塾」での一番の学びは、

他人の価値観を認め、受け入れること」。

シンパシー(同情)ではなく、エンパシー(共感)力を高めること=自分で、誰かの靴を履いてみること。誰かに真に寄り添いたいと思うのならば。

 

以下、卒コンのプレゼンの前段部分、私にとって「自立」とは、そして決意表明。

**********************************************************************************************************

そもそも、「働く女性」という言葉に違和感がある。
女性とか男性とか関係なくない?自分で自分を養うのは、人として当たり前。(と、私は思っていた。)「将来の夢は?」と聞かれ「お嫁さん」という女子にイラッとしていた。
人生の目標=自分の生きがいとなる仕事をすること、だと思っていた。
仕事=有償とは限らない。結婚してようとしていまいと、自分のテーマとして生涯持ち続けるもの、自分の存在意義となるもの、と思っていた。

20代のほとんどの期間、鬱病で苦しんだ。それも、自分の存在意義をかけて(とその時は思い込んでいた)、新卒で入社した会社を、あっという間に自ら放棄してしまったから。加えて私は、団塊ジュニアロスト・ジェネレーション一期生。「失われた10年」のど真ん中を生きてきた、世間的には不遇の世代。だから、正規・非正規・格差問題には常にぶちあたって向き合ってきた。加えて女性。ベースからしてマイナスのところから、どれだけ真摯に「職を得ること」を熱望していたか。

 何者かになりたくて、もがき苦しんだ7年余りを経て、派遣社員として広告代理店の職を得た。やっと自分の理想と現実の落としどころを見つけ、それを悪くない、と思えたところから、私は新たに社会人を始めた。仕事ができることが嬉しくて仕方なくて夢中になった。これから先、仕事を手放すなんて全く考えられなかった。5年かけて契約社員になった。
 自他共に認める「おひとりさま上手」。一人暮らしをして、好きな仕事で自らを養い、自分のぺ-スで好きなように暮らすことに、心底満足していた。常に恋愛はしていたけど、結婚には至らなかった。そしてあっという間に30代後半。あと2年で正社員へ。
 思えば、その年齢で一度も結婚していないことへの周囲からのプレッシャ-と居心地の悪さに、ほとほと疲れていたのかもしれない。ある出会いがあって、怒涛のような流れで結婚したのが38歳の誕生日。あんなに好きだった会社を辞めて、大阪に行った。だけど、そのまま仕事に就かない意思はなく、地元の広告代理店に就職した。

ひとりで生きていけるふたりが、それでも一緒にいるのが夫婦だと思う
―ティファニ-のキャッチコピ-。

 まったく同意。結婚相手は、人生を並走するパ-トナ-だと思っていた。
 つまりは、結婚て、自立した一人が二人で支えあい、より最強に、幸せになることだと。
 だけど、私の結婚相手は違ったようだ。「男子たるもの、嫁と子どもを養うもの」という呪縛から逃れられずに、自爆した(推測)。
 そして、離婚した。

 私の心の中の第一声は「すっきりした!」。
 晴々した。自由になった。私を縛るものがなくなった。
 しかも、今度は一人ではない。なんとちび娘が二人も!心強いパートナーがもれなくついてきた。あの人と結婚した意味は、このことだったんだ。だから失敗なんかではない。むしろ大成功。
 目の前に、広い、広い世界が開けている。私たち、どこへでも、どこまでも行ける。
 離婚届は、「女の自由」へのパスポート。
 さあ、どこへ行こうか。今こそ、積年の願いであった海のそば、そしてシェアハウスにだって住める!仕事さえあれば。そう、経済力さえあれば、女は無敵
 
 離婚したこと、人生の伴侶と信じていた人との関係が無残に崩れ去ってしまったこと、幸せだった結婚生活がふいに終わってしまったことの衝撃・悲しみ・怒り、それはもちろん相当なもの。(これは、壮大なドッキリか?)現実か悪夢なのか、悩んで立ち止まる間もなく、愛しいこの子たちとの毎日は続いていく。
 必死で走り抜けて、今、ここにたどり着いた。
 心の中に、黒い染みとなって、まだ傷はある。まったく気づかないほど小さくなったり、時には広がったり。きれいさっぱり無くなる日は、来るのかもしれないし、来ないかもしれない。

 だけど、「制度としての結婚」が終わったことに関しては、私は自分でも意外と思えるほどに、動揺はなかった。おそらくは、結婚する前も、結婚してからも、精神的には自立していたから。サクサクと手続きを進め(むちゃくそ大変だったけど!煩雑さに、お役所対応に悔し涙を流した)、周囲に公言し(むしろ積極的に。だって隠す必要全くないし)、戸籍の変更も、職場での改姓届けも光の速さで。
 「私」が戻ってきた!私が世帯主。自分と、この子たちを養う。絶対に惨めな思いなんかさせない。
と武者震いのようなものがあった。

 ある人のブログで読んだ。
「シングルマザーの三原則っていうのがあるんです。シングルマザーは、狭くて古いアパートに住んでなきゃいけない。シングルマザーは、昼も夜も、寝る間を惜しんで働いていなきゃいけない。シングルマザーは、不幸そうな顔をしていなければいけない。」
 これが、いわゆる世間の持つシングルマザーのイメージ。
 離婚を告げたとき、先方の親戚に言われた。
「あなた、女一人でどうやって子どもを育てていくの!?」
 いやいや、ちょっと待て。どうやってもこうやってもないよ。やるだけでしょ!
 絶対に、「シングルマザー=貧困、惨め」なんて偏見を吹っ飛ばしてみせる!
 そして、ヒットしたのが、日本シングルマザー支援協会。

少し元気なシングルマザーが、まだ元気になりきれていないシングルマザーの手を引こう。
はい。私、少し(だいぶ)元気です。年なりに疲れてはいるけど、少なくともいつも前を向いています。「支援」なんて、おこがましいことは言いません。共に、前を向いて、光のある方へ、歩いて行こう。

*********************************************************************************************************

そして数日前、9月17日は私の47歳の誕生日。ここぞ、で一生ものの時計を、と月収分くらいの(いや、もうちょっとか)グランドセイコーを自分にプレゼント。

そして私のシネマ道を切り開いた、Q.タランティーノの新作を観る幸せ。

https://www.instagram.com/p/B2gIOEzFWYW/

#ワンスアポンアタイムインハリウッド #タランティーノ誕生日は恒例のひとり映画。祝マイバースデーに祝タランティーノ最高傑作for me!「レザボアドッグス」に衝撃を受け映画に嵌まっていった大学時代、そして90年代半ばに共にブレイクしたブラピ、レオ、タランティーノと同時代を生きてきた感が半端なく、タランティーノに導かれてアメリカンニューシネマ前後のカルチャーにグッと心を持っていかれ、そこから私のシネマ道が始まったんで。懐かしさと愛しさと切なさで胸が張り裂けそう!キャスト、セリフ、映像、音楽、何から何まで、そしてラストまで。完璧な映画愛に溢れてる。これからの方は、実際の「シャロン・テート殺人事件」の概要だけはまずおさえておいて。(以下、ネタバレ?)****************************************************************** シャロン・テートと共に60年代のカリフォルニアの夢はまぼろしのように消えた。…タランティーノは映画という魔法で、歴史に縛られた被害者たちの呪いを解く。Once upon a timeで始まるおとぎ話は、Happily ever afterで終わるのだ。ーREVIEW by 町山智浩

で、去年の誕生日に書いた記事を見てみたら、私、ここで書いてた、この日が、かつての結婚記念日でもあるって、すっかり忘れていた!

 

coco-nano.hatenablog.com

 卒業したなあ…

 

 

鬱だったわたしへ。

一日が24時間じゃ足りない。ぜんっぜん足りない…。体感としては倍の48時間程はほしいよ。

シングルマザーで単に手が足りないってことも、もちろんある。

だけど、家庭を持ってようと持ってなかろうと、一日の大半を自分一人のために使えるバリバリのビジネスマンにだって、そういう人はいるよね。

 

一方で、「一日が長すぎる」って人もいる。

 

鬱期の私が、まさにそれ。

 

やっと夕方になった。

 じりじり、じりじり、じりじり…長い長い夜をどうにか越えたら。

夜が明けて、また、一日が始まってしまう。

また、また、また、また、また…

いったい、いつまで?いつまで繰り返せば許してもらえる?

 

あのときの発狂スレスレの、絶望的な感覚は、まだうっすらと思い出すことができる。

 

息をして、たしかに、生きている。生きているけど、それだけ。なにをしたらいいのか。文字通り、手も足も、出ない。

谷が深すぎて、手をかけるべきひとつ目のとっかかりが何なのかすら、わからなくなっていた。

明日の朝が来ませんように。もう終わりにしてください。たったひとつ、願いはそれだけ。 

 

そして、すべり落ちた。その谷はまだ底じゃなかった。

 精神科から処方された薬を一ヶ月分一気に飲んだこと、数回。そして入院。

自宅の2階から、飛び降りた。そして入院。

だけどそんなことで、自分の手なんかで、人生を強制終了することはできなかった。

それでも、あのとき、私は一回死んだのだと思う。

 

あれから20年。どん底の底の底から這い上がって、わたしはいま、地上にいる。ときどきは、地上から、数センチ浮いていることすらある。

 

一気に上昇したのなんかではない。でこぼこの崖を、少し登っては、また下がって。

再び恋をして、失恋して。

夢中になれる仕事に就いて、最高の達成感を味わって。

このままシングルの人生もありかな、と思っていたら、比較的高齢で結婚して。

そして、半ば諦めてたけど、まさかの二人の娘にも恵まれて。

それから、離婚して、シングルマザーになって。

喜怒哀楽ぜーんぶ使って、思う存分、生きている。

一瞬の迷いもなく、「生きてるのが楽しい」って言える。

 

f:id:coco-nano:20190620143713j:plain

どうしてそれを、冬のあいだにいってくれなかったの。…そうしたらぼくは、きっと元気になれたろうになあ。…」 ―ムーミン

「どんなことでも、自分で見つけださなきゃいけないものよ。そうして、自分ひとりで、それをのりこえるんだわ。」―おしゃまさん

ムーミン谷の冬』

 

リンダ・グラッドンの『LIFE SHIFT―100年時代の人生戦略―』を読んだのは、44歳のとき。もうすぐアラフィフだよ…と若干しょんぼりしていた時期だった。だけど、読後は一転、「え!ちょっと待って、私の人生、まだ折り返し地点にすら立っていないかも!」って、まだまだ時間はあるということに、すごく目が開かれたのを覚えている。

目の前に、あれもしたい、これもしたい、できる!って、パーッと夢がひろがった。

 

 「人生、早く終わってほしい」が唯一の願いだったこともあった、この私が。

 

そのときは結婚していたから、元夫に、「ねえねえ、この先、会社で定年まで働いたとしてもさ、その後、まだまだ何十年も時間あるんだから、私、やりたいことあるんだ!読んでよ、これ!」と、興奮気味にまくしたてた。

元夫は「100年なんて、そんな長生きなんかしたくないよ。」と、うんざりした顔をした。

これは、割と一般的な反応だと思う。

だけど、このときは、二人はもう、違う方向を見てたんだろう。

離婚したところで、私の思いは変わらなかった。私は、私の人生を行く。ちび娘たちと手をつないで。

 

私の思い描く未来の風景。

海のそばのシェアハウス。色んな国籍のひと、ひとり親とその子ども、学生さん、おばあちゃんが住んでる。私はおかみさん。夜はスナックになる。「ちょっと聞いてよ、おばちゃん!」て女たちが集う。時には出会いの場になって、私は、おせっかい仲人おばちゃんにもなる。娘たちはどうしてるかな。バックパッカーになって海外放浪してたりして。夢中になれること、見つけてるかな。

 

心の赴くままに、色んな人と会って、喋っていると、思いが、少しずつ、形になっていく。

尊敬するコーチ、江成道子さん率いる、日本シングルマザー支援協会で学び始めた。女たちを、エンパワーメントしたい。

「一緒に『おせっかい』していこう」と話して共に歩んでいた、元シェアメイトのYちゃんが、一足先に巣鴨のシェアハウスの管理人を任されることになった。

ここで感触つかんで、ゴールは海のそば。

未来が、見えるね。

f:id:coco-nano:20190620172403j:plain

 

あの頃の私へ。

最高潮の喜びも楽しみも、最大級の怒りも悲しみも、まだまだこれから。

だけど、それもこれも全部ひっくるめて、生きるって、なんてエキサイティング。

最高に面白くて、やめてしまうなんてもったいない!

わたし、生きてて、ものすごいラッキー。

そんな風に思える場所へ、私が連れて行ってあげるから。

だいじょうぶ。何があっても、意外と、なるようになる。それって、決して諦めなんかじゃない。

自分が思いもよらなかった、ちょうどいい場所、「ここか!」ってところに、たどり着いてる。

まるで、はじめから決まってたみたいにね。

 

 

 

 

生きるとか死ぬとか父親とか

https://www.instagram.com/p/BvvIR5EHhOX/

明け方、父がなくなった。さくらのなかにおじいちゃんいるよ、とムスメが言う。

4月2日、午前5時半、母からの電話「驚かないでね、お父さん、死んじゃったのよ。さっき。もう動かないの」。

前日の夕方は、いつものように、ナノを保育園にお迎えに行ってくれたのに。

急性心不全。突然だった。だけど、不思議と母の声は、震えながらも落ち着いていて、それを聞いて私も激しい動揺よりも、そうなんだ、と、ただ事実を受けとめた感じだった。そして本当に自分でもびっくりしたのだけど、まず第一に「お父さん、お疲れ様。ありがとう。」という言葉が胸に浮かんだ。

お父さん、生き切ったんだ。

私の勝手な想定よりも、10年くらい短かったけど。これが、父の寿命だったんだ。

タイトルは、ジェーン・スー氏の著書から。このとき、新刊「私がオバさんになったよ」を読んでいたのだけど、これはタイムリーかも、と実家近くの本屋で購入した。

父親と娘の関係って、一筋縄ではいかない。どの家でもその関係性は千差万別だろうけど、子供の頃から大人になるまで「パパ、だーい好き(ハート)」みたいな父娘って、どれくらいいるんだろうか。母娘の関係性とは、明らかに違う。その濃さも、距離感も。ジェーン・スー氏の著書は、父も自身も愛した母親の死後、残された2人の関係が綴られ、2人がいかに愛する母を媒介として繋がっているか、という思いが溢れていた。

お父さん、ごめん。私、「(母と)順番が逆じゃなくて本当に良かった。」と思ったんだよ。母に先立たれたお父さん、想像しただけでもぞっとするよ。

頑固で、偏屈で、厳しかった昭和の父。

「鶏頭となるも牛後となるなかれ」が口癖だった。

私が小学生の頃、脱サラして自営業を始めて、貧しかった。一軒家を間借りしてたので、玄関とお風呂がなくて、銭湯に通っていた。恥ずかしくて友達を家に呼べなかった。でも、そのことでからかわれたり、苛められたりしたことはなかったように思う。

図書館関係の仕事をしていて、若い頃詩人になりたかったというくらいだから、唯一の趣味は読書。家には本が溢れていたし、おもちゃもそんなに買ってもらえなかったから、当然のように小さい頃から本を読むのと絵を描くのが私の遊びで、日常になった。

貧乏だったけど、あの間借りしてた、及川さんちの、藤棚やさるすべりの木、いろんな花が植えられて、大根の紫の花も咲き乱れてた広い庭を懐かしく思い出す。夜には蛙や鈴虫の鳴き声が聴こえたっけ。ボロボロでほんと嫌、だったけど、大人になった今の目で見ると、あれこそ理想の古民家かも。

大人になった今は、すごく、感謝している。あの環境で、あの父じゃなかったら、今の私はなかった。

でも、そんな父親とうまくいってたかというと、決してそんなことはない。幼いころは、厳しくていつも怒っているような父の前では委縮していた。そして口を開けば社会批判、政治批判、金持ち嫌い発言。人と議論するのが大好きなのに、宴席では飲み過ぎてヒートアップして嫌われて。(ほんと、うざい!なんで他人とうまくやれないの?私のがよっぽど上手だよ!)なんて疎ましく思うこともあった。

阿佐ヶ谷に事務所を構えてからは、うまくいっていた時は何人か人を雇っていたこともあって、母も働いていたこともあった。色々あってふらふらしていた時期の私も働いていたこともあった。だけど、その頃は徐々に仕事が縮小していって、それほど潤沢に私が手伝えることがあるわけではなかった。それがわかっていたから、ありがたいけど、苦しかった。

そして長い長い鬱の暗黒時代を抜けて、復活した私が「ずっと何かにならなきゃ、って苦しんでたけど、別に何にもならなくていいんだ、ってわかった。」と言ったとき、父は「それはよかった。やっとわかったか。」と笑った。それが、父が私のことをどんなに大切に思っていてくれたのか、すとん、とわかった瞬間だった。

 今回、初めて知ったのだけど、病院以外で亡くなると、検死のために一旦警察署に運ばれるのだった。ココナノと警察署に向かう道すがら、石神井川沿いは満開の桜。ナノが「あの中にね、おじいちゃんいるよ。」という。ほんとに、そうだね。いるね。と自然に思った。冷たくなった遺体に触っても、ちっとも忌まわしいような負の思いは湧いてこなかった。動かなくなっちゃったけど、身体はこれから焼かれて見えなくなっちゃうけど、お父さん、いるよね。

火葬が終わってシェアハウスに戻るバス通りも、桜の並木道。うすピンクのふわふわした曇から、ひらひらと雪が舞うように散る花びら。美しくて、夢の中にいるようで、どこからがこの世でどこからがあの世なのか、どこまでが生きてるでどこからが死んでるのか、わからなくなった。分断なんかそもそもなくて、 続いてるんじゃないか、と。

母と兄と話して、自然葬にすることにした。複雑な墓事情があり、無理矢理形ばかりの墓を拵えるより、大地に散骨するほうが父には向いてる。リアルに「千の風になって」だね、と母と笑う。きっと「私のお墓の前で泣かないでください。私はそこにいません。」てお父さん、言うよね。

 

 

 

春、なぜか池袋にて。

春。うららかな日曜日。桜の満開は来週、ですかね。

今日は、ムスメたちとパパは4ヶ月ぶりの面会、ディズニーランドへ。私は東京駅待ち合わせ地点で折り返し、なぜか池袋にいる。

先週、大阪でココナノが通ってた保育園の卒園式、この日はみんなに会いに絶対大阪戻るからね、と昨年10月、東京へ発つときの約束を守ったのだった。たっぷりとココナノ友達、ママ友達と過ごし(パパには連絡せず。時間ないし。)、前から気になってたbook and bed tokyo@心斎橋 に泊まった!

https://www.instagram.com/p/BvEuuwZHRdE/

なんということでしょう!夢のような幸せ空間…#bookandbedtokyo

https://www.instagram.com/p/BvFzEKcn5tr/

朝食もオシャすぎてオールブラック…こどもが食べるとこうなります#bookandbedtokyo #breakfast #心斎橋

で、今日。乗り換え駅の池袋にもあるってことで、1hrあたりで利用できるっていうし、寄ってみたら。デイタイム利用は13時からですと…と、とぼとぼ歩くと、池袋ウエストゲートパーク。ちょうど、20年来(ですよもう!)大好きなシリーズ、「池袋ウエストゲートパーク 裏切りのホワイトカード」読んでるところなんで、

おお!ロケハン!とベンチにでも腰かけて物語に思いを馳せよう…と思ったら、大規模リニューアル中なんですね。


f:id:coco-nano:20190324113607j:image  

やっぱり、私は東口のが馴染みがあるなあ、とぶらぶら歩いていたら、色んなことが甦った。 

高校時代のこと。援団(チアリーダー)の衣装の生地買いに来たキンカ堂、もう潰れちゃったなあ。サンシャイン、◯◯と行ったなあ。それから、高校時代だけじゃない。

なぜ、池袋東口に馴染みがあるのか。私が鬱で引きこもったのち、母に強制的に連れて来てもらったクリニックがある場所なのだった。そしてそのデイケアに通ったり通わなかったりしていたのだった。今いる駅近のガラス張りのカフェレストランは、そのクリニックの帰りに連れてきてもらい、半年ぶりくらいに外食というものをして、「外界にはこんなに素敵な場所があるんだ…!」と思いだした場所だった。

あの頃、まさに池袋ウエストゲートパークの時代。混沌として、猥雑で、無軌道な数年間。とてもじゃないけど、書けないようなことも沢山あった。

長いこと、その数年間が恥だった。黒歴史の記憶に苦しんでいた。その数年間を、なかったもの、にしたかった。だって、今現在の明るく、元気で、前向きな私が、本来の私。あの時期は、病気だったからこそで、あれは本当の私ではない、と。

だけど、いつからだろう、その期間の自分を否定する気持ちが消えている。長い時間かかったけれど、いつの間にか、受け入れていた。あれもこれも、全部自分で、愛しいよ。かわいそうじゃないか、否定なんかしたら。むしろ、あんな時期の自分があってこその今の自分を誇ることができる。よくやってきた、よくやってるよ、自分よ。

なんでも、人生のネタとなる。あの頃の一個一個のとんでもエピソードも、振り返ってみたら、結構、事実は小説より奇なり、いつか書いてみたい。相当な血を吐く覚悟がいるだろうけど。今は、本を出す!なんて気負わなくても、誰だって書きたいことがあればいくらでも発信できる、良い時代ですね。

離婚もネタ。(私、こだわりとして、絶対バツイチ、って言わない。だって、バツじゃねえし!)

私、(あくまで私にとっては、です)離婚してシングルマザーになったことで、自分のスペックがまたひとつ増えた、みたいな感覚があったんですよね。ネタ増量、ツールを得た、みたいな。よし、また定型的な枠から逸れたぞ!というワクワク感、大変なことが始まるー!とメラメラとわき上がる炎。

なんでしょう、変ですね。

でも、もしも人生が選べるのなら、何事も起こらない平坦で幸せな人生より、私は山あり谷あり、幸も不幸もなんでもあり!の人生を選ぶんだろうな。喜怒哀楽、めいっぱいの人生を。だって、そのほうが、生きてる、って感じじゃない?