鬱だったわたしへ。
一日が24時間じゃ足りない。ぜんっぜん足りない…。体感としては倍の48時間程はほしいよ。
シングルマザーで単に手が足りないってことも、もちろんある。
だけど、家庭を持ってようと持ってなかろうと、一日の大半を自分一人のために使えるバリバリのビジネスマンにだって、そういう人はいるよね。
一方で、「一日が長すぎる」って人もいる。
鬱期の私が、まさにそれ。
やっと夕方になった。
じりじり、じりじり、じりじり…長い長い夜をどうにか越えたら。
夜が明けて、また、一日が始まってしまう。
また、また、また、また、また…
いったい、いつまで?いつまで繰り返せば許してもらえる?
あのときの発狂スレスレの、絶望的な感覚は、まだうっすらと思い出すことができる。
息をして、たしかに、生きている。生きているけど、それだけ。なにをしたらいいのか。文字通り、手も足も、出ない。
谷が深すぎて、手をかけるべきひとつ目のとっかかりが何なのかすら、わからなくなっていた。
明日の朝が来ませんように。もう終わりにしてください。たったひとつ、願いはそれだけ。
そして、すべり落ちた。その谷はまだ底じゃなかった。
精神科から処方された薬を一ヶ月分一気に飲んだこと、数回。そして入院。
自宅の2階から、飛び降りた。そして入院。
だけどそんなことで、自分の手なんかで、人生を強制終了することはできなかった。
それでも、あのとき、私は一回死んだのだと思う。
あれから20年。どん底の底の底から這い上がって、わたしはいま、地上にいる。ときどきは、地上から、数センチ浮いていることすらある。
一気に上昇したのなんかではない。でこぼこの崖を、少し登っては、また下がって。
再び恋をして、失恋して。
夢中になれる仕事に就いて、最高の達成感を味わって。
このままシングルの人生もありかな、と思っていたら、比較的高齢で結婚して。
そして、半ば諦めてたけど、まさかの二人の娘にも恵まれて。
それから、離婚して、シングルマザーになって。
喜怒哀楽ぜーんぶ使って、思う存分、生きている。
一瞬の迷いもなく、「生きてるのが楽しい」って言える。
「どうしてそれを、冬のあいだにいってくれなかったの。…そうしたらぼくは、きっと元気になれたろうになあ。…」 ―ムーミン
「どんなことでも、自分で見つけださなきゃいけないものよ。そうして、自分ひとりで、それをのりこえるんだわ。」―おしゃまさん
『ムーミン谷の冬』
リンダ・グラッドンの『LIFE SHIFT―100年時代の人生戦略―』を読んだのは、44歳のとき。もうすぐアラフィフだよ…と若干しょんぼりしていた時期だった。だけど、読後は一転、「え!ちょっと待って、私の人生、まだ折り返し地点にすら立っていないかも!」って、まだまだ時間はあるということに、すごく目が開かれたのを覚えている。
目の前に、あれもしたい、これもしたい、できる!って、パーッと夢がひろがった。
「人生、早く終わってほしい」が唯一の願いだったこともあった、この私が。
そのときは結婚していたから、元夫に、「ねえねえ、この先、会社で定年まで働いたとしてもさ、その後、まだまだ何十年も時間あるんだから、私、やりたいことあるんだ!読んでよ、これ!」と、興奮気味にまくしたてた。
元夫は「100年なんて、そんな長生きなんかしたくないよ。」と、うんざりした顔をした。
これは、割と一般的な反応だと思う。
だけど、このときは、二人はもう、違う方向を見てたんだろう。
離婚したところで、私の思いは変わらなかった。私は、私の人生を行く。ちび娘たちと手をつないで。
私の思い描く未来の風景。
海のそばのシェアハウス。色んな国籍のひと、ひとり親とその子ども、学生さん、おばあちゃんが住んでる。私はおかみさん。夜はスナックになる。「ちょっと聞いてよ、おばちゃん!」て女たちが集う。時には出会いの場になって、私は、おせっかい仲人おばちゃんにもなる。娘たちはどうしてるかな。バックパッカーになって海外放浪してたりして。夢中になれること、見つけてるかな。
心の赴くままに、色んな人と会って、喋っていると、思いが、少しずつ、形になっていく。
尊敬するコーチ、江成道子さん率いる、日本シングルマザー支援協会で学び始めた。女たちを、エンパワーメントしたい。
「一緒に『おせっかい』していこう」と話して共に歩んでいた、元シェアメイトのYちゃんが、一足先に巣鴨のシェアハウスの管理人を任されることになった。
ここで感触つかんで、ゴールは海のそば。
未来が、見えるね。
あの頃の私へ。
最高潮の喜びも楽しみも、最大級の怒りも悲しみも、まだまだこれから。
だけど、それもこれも全部ひっくるめて、生きるって、なんてエキサイティング。
最高に面白くて、やめてしまうなんてもったいない!
わたし、生きてて、ものすごいラッキー。
そんな風に思える場所へ、私が連れて行ってあげるから。
だいじょうぶ。何があっても、意外と、なるようになる。それって、決して諦めなんかじゃない。
自分が思いもよらなかった、ちょうどいい場所、「ここか!」ってところに、たどり着いてる。
まるで、はじめから決まってたみたいにね。