ここなの&Me ~ハハコ3人、おおむねしあわせ。(だけどね)

シングルマザー歴5年目、"marriage agency 海辺のスナック"始めました。

生きるとか死ぬとか父親とか

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明け方、父がなくなった。さくらのなかにおじいちゃんいるよ、とムスメが言う。

4月2日、午前5時半、母からの電話「驚かないでね、お父さん、死んじゃったのよ。さっき。もう動かないの」。

前日の夕方は、いつものように、ナノを保育園にお迎えに行ってくれたのに。

急性心不全。突然だった。だけど、不思議と母の声は、震えながらも落ち着いていて、それを聞いて私も激しい動揺よりも、そうなんだ、と、ただ事実を受けとめた感じだった。そして本当に自分でもびっくりしたのだけど、まず第一に「お父さん、お疲れ様。ありがとう。」という言葉が胸に浮かんだ。

お父さん、生き切ったんだ。

私の勝手な想定よりも、10年くらい短かったけど。これが、父の寿命だったんだ。

タイトルは、ジェーン・スー氏の著書から。このとき、新刊「私がオバさんになったよ」を読んでいたのだけど、これはタイムリーかも、と実家近くの本屋で購入した。

父親と娘の関係って、一筋縄ではいかない。どの家でもその関係性は千差万別だろうけど、子供の頃から大人になるまで「パパ、だーい好き(ハート)」みたいな父娘って、どれくらいいるんだろうか。母娘の関係性とは、明らかに違う。その濃さも、距離感も。ジェーン・スー氏の著書は、父も自身も愛した母親の死後、残された2人の関係が綴られ、2人がいかに愛する母を媒介として繋がっているか、という思いが溢れていた。

お父さん、ごめん。私、「(母と)順番が逆じゃなくて本当に良かった。」と思ったんだよ。母に先立たれたお父さん、想像しただけでもぞっとするよ。

頑固で、偏屈で、厳しかった昭和の父。

「鶏頭となるも牛後となるなかれ」が口癖だった。

私が小学生の頃、脱サラして自営業を始めて、貧しかった。一軒家を間借りしてたので、玄関とお風呂がなくて、銭湯に通っていた。恥ずかしくて友達を家に呼べなかった。でも、そのことでからかわれたり、苛められたりしたことはなかったように思う。

図書館関係の仕事をしていて、若い頃詩人になりたかったというくらいだから、唯一の趣味は読書。家には本が溢れていたし、おもちゃもそんなに買ってもらえなかったから、当然のように小さい頃から本を読むのと絵を描くのが私の遊びで、日常になった。

貧乏だったけど、あの間借りしてた、及川さんちの、藤棚やさるすべりの木、いろんな花が植えられて、大根の紫の花も咲き乱れてた広い庭を懐かしく思い出す。夜には蛙や鈴虫の鳴き声が聴こえたっけ。ボロボロでほんと嫌、だったけど、大人になった今の目で見ると、あれこそ理想の古民家かも。

大人になった今は、すごく、感謝している。あの環境で、あの父じゃなかったら、今の私はなかった。

でも、そんな父親とうまくいってたかというと、決してそんなことはない。幼いころは、厳しくていつも怒っているような父の前では委縮していた。そして口を開けば社会批判、政治批判、金持ち嫌い発言。人と議論するのが大好きなのに、宴席では飲み過ぎてヒートアップして嫌われて。(ほんと、うざい!なんで他人とうまくやれないの?私のがよっぽど上手だよ!)なんて疎ましく思うこともあった。

阿佐ヶ谷に事務所を構えてからは、うまくいっていた時は何人か人を雇っていたこともあって、母も働いていたこともあった。色々あってふらふらしていた時期の私も働いていたこともあった。だけど、その頃は徐々に仕事が縮小していって、それほど潤沢に私が手伝えることがあるわけではなかった。それがわかっていたから、ありがたいけど、苦しかった。

そして長い長い鬱の暗黒時代を抜けて、復活した私が「ずっと何かにならなきゃ、って苦しんでたけど、別に何にもならなくていいんだ、ってわかった。」と言ったとき、父は「それはよかった。やっとわかったか。」と笑った。それが、父が私のことをどんなに大切に思っていてくれたのか、すとん、とわかった瞬間だった。

 今回、初めて知ったのだけど、病院以外で亡くなると、検死のために一旦警察署に運ばれるのだった。ココナノと警察署に向かう道すがら、石神井川沿いは満開の桜。ナノが「あの中にね、おじいちゃんいるよ。」という。ほんとに、そうだね。いるね。と自然に思った。冷たくなった遺体に触っても、ちっとも忌まわしいような負の思いは湧いてこなかった。動かなくなっちゃったけど、身体はこれから焼かれて見えなくなっちゃうけど、お父さん、いるよね。

火葬が終わってシェアハウスに戻るバス通りも、桜の並木道。うすピンクのふわふわした曇から、ひらひらと雪が舞うように散る花びら。美しくて、夢の中にいるようで、どこからがこの世でどこからがあの世なのか、どこまでが生きてるでどこからが死んでるのか、わからなくなった。分断なんかそもそもなくて、 続いてるんじゃないか、と。

母と兄と話して、自然葬にすることにした。複雑な墓事情があり、無理矢理形ばかりの墓を拵えるより、大地に散骨するほうが父には向いてる。リアルに「千の風になって」だね、と母と笑う。きっと「私のお墓の前で泣かないでください。私はそこにいません。」てお父さん、言うよね。