YESTERDAY
元夫が謝罪したい、と言う。
昨日、2ヶ月ぶりの父子面会日。
シェアハウスの隣の棟に住む母も連れ、待ち合わせ場所に出向いた。
元夫は、前回同様、マルチーズの赤ちゃん(名前はミルク)を連れていた。子どもと別れ、寂しさに耐え切れず飼い始めたらしい。
ココナノの気をミルクでそらせ、「で?」
…離婚して一年半本当にご迷惑おかけしてます、この子たちを見てくださって本当にそれは感謝してます、ただ離れてみてまた一緒に家族で暮らしたいという思いがどんどん出てきて早くそうしたいと思いながらまだ借金を返し終わるのがすぐにどうこうというのは難しくてこうして東京に来るたびにやはり返済もどうのこうの、Meさんも今は誰に頼っているのかはわかりませんが、
…はあ?
私は吠えた。日曜日の朝10時、閑静な住宅街の駅ターミナルにて。
全っ然、まっったくわかってないんだね、その思い違いを謝りに来たんじゃないの!?
私は結婚しない人生かも、と思ってた!
ひとりで生きていこうと思っていたし、ひとりで生きていけるんだよ!
今までも、これからも!
「まあまあ、感情的になっちゃダメ。」と母。
「『頼ってる』って、誰か特定の人に、経済的に、ってこと?それはないのよ。」
今度は私がハッとした。
…そうだ、母や、友だちや、シェアメイト、周りの大好きな人たちを、どれだけ頼りにして、心の支えにしているのか。
ひとりで生きてなんか、決してない。なにより、ココナノが私の支柱。精神の大黒柱。
この人の日常からは、それが消えてしまったんだ。
「…その、結婚してたときに、私が浮気してた、不倫してた、とかいうのは?それも、まだそう思ってるの?」
「…それは、自分の思い違いでした、本当にすみませんでした。」
言った。
わからない。本当にそう思っているのかは、わからない。この人は他人だ。わかりようもない。でも、いい。その言葉が聞けたら、それでいい。
いや、やり直すとかまた一緒に暮らすとか無理ですよ(ていうか断固拒否だ)。
でも、私たち2人がこの子たちの親であるということは、一生続く。
世の中にこの人たちを放った共同責任。
互いに背を向けあったまま、憎しみあったまま生きるのはしんどすぎる。
親として、正面向いて、話すこと。それだけを、望んでいた。
これからは、それだけは、できるのかな。
これまでは、面会の連絡だけを母へショートメールで送ってもらうのみ、二人で直接の会話は回避していた。
週1回、face timeで子供たちと話せるように、こちらから電話をかける時間を決めた。
「義務だ!当然だ!」と振り込まれても黙っていたけど、本当は、養育費がきっちり約束の日に着金しているのを確認するたびホッとして、「今月もお疲れさん、ありがとう」って言いたかったんだ。
今日の予定は、海ほたるへのドライブだという。
帰りの引き取りの待ち合わせは16時。
私はこの機会にひとり映画…と思っていたら、母も?よし、行こう。
「ジョーカー」、「イエスタデイ」…昨夜までめっちゃ迷ってたが、いや、今はハッピーなの観たいな。
清廉な空気を、胸いっぱいに吸い込んだ。
本、音楽、映画、写真、絵画、文章、物語。素晴らしいコンテンツに出合うと、
こんなに心を動かされるものを創り出す人間て、ほんと捨てたもんじゃない、と
人間を、生きることを、全肯定したくなる。
あの人が、この人が、こう思った、どう思ってる、どうしよう、とか、
そんなちっさいこと、まじでどうでもよくなる。
All you need is love.