扉は閉まる。でもまた新しい扉が開くよ。
おはようございます。3連休の最終日、皆さまいかがお過ごしでしょうか。今日はMeの誕生日、ハハコ3人、由比ヶ浜の超絶素敵ホステルなうです。
この日、実はかつての結婚記念日でもあって。
こ、れ、は、大阪にはいられなーい!と9月13~17日、石垣島旅行を目論んでたのですが。
先日の大阪直撃100年ぶり?とかいう台風により、まさかの関西空港にタンカー突っ込み、ターミナル崩壊という予想だにしないできごとが!で、航空便欠航、キャンセル…(次の日、14日からは飛んでるし!)
さて、仕事はすっかり休む気満々だし、どうしたものかな…と思案していたところ。次の仕事の上司にあたる方から「9月中に東京に人事との面接に来られますか」とのメールが。それでは、と即座に東京(面接)~湘南の旅に切り替え、booking.com、Webace鎌倉、「最後の一部屋」予約!ふうー我ながらこの切り替え力、誉めてやりたい。
おかげさまで10月からの仕事も無事決まり。
土曜日はHOPE CHAPELへ。
そこでのRossからのメッセージは、
神様は、あなたがいくら祈っても祈っても聞き入れず、時にはバタンとその扉を閉めてしまうこともある。すると、自分の頭では考えもつかなかったような、存在さえ知らなかったような、新しい扉が開いていることがある。
正確ではないけど、そんなような内容。
ほんとうにね、この旅に限らず、割と想定外起こりがちなこの半生、ドアオープン&シャット&オープン…の連続という気がする。
東京で、鎌倉で大好きな友達と語り、「将来の備え、っていらないね。いくら備えたところで弾は考えもつかない方向から飛んで来る。それなら今を遊べ!」って方向に。
割と人生サイコーだな、と思う新たな年の始まり。
委ねる。
こんにちは。暑いというか熱いですね。
今日で離婚して半年が経ちました。早いもので…という感覚はなく、体感として、めっちゃ長かった!!
直後の諸々煩雑な手続きの嵐、相手方との揉め事対応の窓口や弁護士さん探しに面談、引越し、今後の仕事どうする、こんな時に保育園からココ、頭ジラミ発生の連絡!!うわああああ…怒りパワーだけで突っ走った2、3月を経て。ここからが長かった。
家庭の事情を加味していただいて(会社事情もあり)、3月から営業⇒事務に配置換えになって、正直暇になって考える時間がやたら増えた、ってのもあり。
そしてこれからどうするか?ばかりを考えて、今、ここ大阪に、この職場に居るのは過渡期であって「仮」であるという思いで、前に進みたいけど進めない、と地団太踏んでいたからだと思う。
しかし、前回の記事で書いたように「大阪に居るのは9月末まで!」と決めたら、ずんずん物事が動き出した。
ちょうど1カ月前の連休、東京~神奈川シェアハウス巡りの旅。
面白かった!全部で4件見たうち、1件目:いいね!⇒2件目:もっといいね!⇒3件目:もっともっといいね!⇒4件目:もっともっともっといいね!ってか、最高!ここに決めた!!…という具合に、どんどんグレードアップしていく感。どれもこれも「ああ、ここはないな…」っていう物件は皆無で、立地、建物そのもの、現入居世帯、オーナーのコンセプトなどなどそれぞれに魅力的。
(そして合間に逗子海岸)
そして最後に出会った横浜のシェアハウス、というかソーシャルアパートメントは、着いた途端、庭で子ども達がビニールプールで遊んでる、うちの子らも服のままジャボン、といきなり参加。庭で野菜育てて、屋上では花火大会が見られ、共有ラウンジでは地元の人々が集い、日々イベントが…ああなんということでしょう!理想の暮らしがここにあり!と、即決する勢いでしたが、他の住民の方々との相性が大切、とのことで食事会を次回設定して、問題なければ契約へ、というところまで。
横浜か…来年4月から勤務できるであろう会社にも、都内より余程短時間で通勤できる!大好きな海にもより近い!最高じゃないか…神さまのお導きだなあ…
と思っていたら。7月末、オーナーより電話あり「すみません!先約の方がまさかの復活!」と。順番でいくとそちらなんですと。「あーそれは残念…」
しかし、私はすぐに切り替えた(神さまのお導きとか言ってたのに!)。
横浜で、エコでロハスでシャレ乙な新生活が始まる!という興奮状態にあったものの、やはり緊張していたのでしょう。土地勘もないし、保育園事情もどうなってるのか…。では、2件目の練馬区だな!と即座に切り替えたら、なんだかほーっとした自分がいた。ここは私の青春の高校ライフを送った場所。老親もバスですぐ来られる立地、しかも練馬区は子育て支援充実してる!
そして先週、本来、横浜の物件の食事会、として休みをとっていた日に合わせ再度帰省、上記の大泉の物件に申込をしてきたのでした。
(そして合間に逗子海岸、材木座…)
ともかく、住居を決めちゃった。決めちゃった引越し。で、そこから仕事とか保育園とか諸々考えよう。
と思っていたら、仕事でも良い動きがありそう…
練馬区HP見たら、近くの保育園も今のところ4歳児・5歳児空きあり。
7月帰省時に、16~17年ぶりに、私の暗黒期を救ってくれたスーパーカジュアルな教会、Hope Chapel のWorshipに行ってきました。
教会…と聞くと敷居が高いとビビってしまう方もいると思いますが、会場(今は田無の本屋さんの上の貸しホール)に入って、アコギで賛美歌をライブ演奏する仲間と日系ハワイ人牧師のROSSを見たらそんな常識ぶっとびますから!
Long long time no see…なのに、極めてフツーに「おかえりー!」って感じで迎え入れてくれた。あの頃20代だったみんな、40歳を過ぎてもちーっとも変わらないのに(よく見ると細かいシワとか笑)、子どもが生まれて小学生になってたり、大学生になっていたり!と子ども達の成長だけが、時は確かに流れたのだなあ、と実感させて。
バンドリーダー?のS太郎とT美夫妻は、私が教会から足が遠のいたころ結婚したのだけど、その子ども達は小学校高学年、中学生になっていて。学校には通わず、ホームティーチングで育てているのだそう。とってもとってもまっすぐな良い子たちで。
最初は外野の声(主に非難)をかわすのが大変だったそうだけど、今は支援団体もあり他の家庭とも協力し合って、自分達の信念のもとに子育て・教育をしている、私と同学年の夫妻。カッコいい。普通は、世間体は、常識的には、そんな声に惑わされずに自分の信念を貫くのは、どれほど勇気のいることか。だけど、彼らは揺るがない。神さまに愛されているのを知っているから。
賛美の歌を歌いながら、ROSSのメッセージを聞きながら、「委ねる」という言葉が心に響き渡った。私の身に起こった事。余りにも理不尽だと怒ったり、許せないと泣いたり。でも、「許す」とか「許さない」とか、そんなこと、私ができるわけがない。
全部、神さまに委ねよう。
教会の皆に「おかえり!」と言ってもらって、確かに、私の心は「ただいま」と帰って来た感がある。本来の、自分のあるべき場所に。
だから、なんでこうなったか、これからどうなるか、全部全部神さまが知っている。
委ねる。
だから、私は安心して、新しい道へと進めるんだ。
何の心配もいらない。
終わりの終わり、新たなはじまり
おはようございます。今日でちょうど、シングルママ歴5カ月か…のMeです。
誠心誠意を尽くしても、だめなことってあるんですね。
一昨日、私と元夫、弁護士さんの事務所に集う。今後の面会交流についての話し合い、に先立ち、まずは私に突きつけた離婚理由、私の不貞行為、という妄言を撤回してください。そうすれば、色々水に流して、離婚はしたが、良い関係を築く努力ができるから。そして、共に暮らすことはもうなくても、協力しあって子育てしていきましょう...というような内容の手紙を、弁護士さんを通して送っていた。
怒りMAX罵倒バージョン、冷徹ディスりバージョン、上っ面事務的バージョンなど散々書き散らして自分をなだめ。結果、全ての邪念や計算や恨み辛みなどをそぎおとした、私の本心、そのまんまの気持ちを、どうか届きますように、という願いを込めて送ったつもりだった。ああ、これでもう大丈夫、と思っていた。
彼の返答は、「撤回はできない。確証はないけど疑っている。」
何一つ、彼の心には響いていないようだった。彼は得体の知れないモンスターになってしまった。
もう、私が好きだったあの人は消えてしまった。
「中途半端な未練を断ち切ること。」
いばや通信、坂爪圭吾さんの言葉が響く。
http://ibaya.hatenablog.com/entry/2015/10/13/104511
「Don't look back.」
聖書の言葉が浮かんでくる。
うん、切れた。これで完全に終わり、と清々しく旅立つことができる。
ココナノ、さ、いこか。
来年の4月、ココが小学校上がるタイミング、を待たずに、大阪にいるのは9月末まで、と決めた。私の心は、ずっと新しい場所に行きたがっていた。心に従おう。まずは旅立とう、旅立ってから後のことは決めよう。
今日の夜の新幹線に乗って、3連休は東京、横浜のシェアハウス巡り。そして間に海。
そして、私の暗黒時代に出会い、支えてくれた、スーパーカジュアルな教会、Hope Chapelの存在が昨日の早朝、まさに「立ち現れた」という表現しかないくらいのタイミングで私の心にやってきた。instagramでその牧師の奥さんと繋がっていた。そして東京にいるベストなタイミングで、16~17年ぶり!にそのworship(礼拝、というかほとんどミニライブとお話し会)に行けそうだ。しかも子供連れて!
「すべてのことに時がある。」
神様のなさることは、すべてが時にかなって美しい。
そのことを、全身で感じている。
だから、私は、強がりでもなんでもなく、何も恐れることはない。前を向いて、進んでいくだけ。
新しいことが始まる。子供たちにとっては第2章、私にとっては第5章...くらい?
そして、人生は続く。(坂爪さんパクりの〆言葉...)
※※※追記※※※
現在、1時15分、猛毒?猛暑にやられて、会社を早退して帰宅途中、まさにもうすぐで自宅前、ってところで、坂爪圭吾さんとバッタリ会ったよ!今このタイミングで。まじで上記、神様のなさることは全て時にかなって美しい、が目の当たりに!神様、半端ないね…
家族、自由、シェア
こんにちは。シングルママ歴4ヶ月のMeです。
シングルママのみなさま、ハハコで暮らす住まいはどのような環境でしょうか。
2月半ばに離婚して、早速ママ友たちと会議。
彼女たちは元いた場所から一駅北上した町に集結していて、「この辺越してきなよ、そしたらすぐ行けるしいろいろ手伝うよ!」と言ってくれて。
そうだね、このへんだったら保育園通える範囲だし。「ありがとうみんな!探してみる!」と怒濤の勢いで物件探し。
すると奇跡が起きた。敷金礼金なし、家賃はこの範囲で...と何軒目かに紹介された部屋が。(あれ?ここはもしや...)そうでした、そうでした。なんとママ友のうちの一人のマンションの、まさに階下の部屋でした!うわあああ、運命だね!と即座に契約、3月に引っ越してきたのでした。
そしてなにかとモノの貸し借りしたり、おすそわけしあったり、保育園お迎え行ってもらったり。この前の地震の時も、即座に様子確認に来ていただいたり。近所の公園行けば、誰かしらいて子どもたちは一緒に遊べるし。ハッキリ言って、サイコーです。ありがとう、友よ。
地域全体で子育てしているような、あたたかさと安心感。母子家庭の孤立感、みたいなものは微塵も感じない。不思議と、結婚していたときのほうが「家庭」という名の箱に閉じこもっていたような気さえする。
昨年から、植本一子の本にはまっていて。「かなわない」「家族最後の日」「降伏の記録」と立て続けに読んでいた。読んでいるときは離婚しようとは思っていたわけではないけれど、家族ってなんだ、という問いをずっと抱えていたのかもしれない。
伝説のラッパー、ECDこと石田さんと若くして結婚した写真家の植本さん。ご本人は、新進気鋭の若手写真家。一方、石田さんは尊敬する伝説のラッパーであっても、現在は音楽で身を立てることは難しく、劇場の安全管理の仕事で生計を立てている。結婚してすぐに年子の姉妹を授かり、愛情とは裏腹に子供を煩わしく思ってしまう気持ち、思うように仕事ができないことと尊敬するはずの夫への苛立ち、結婚する前には当たり前にあった自由への渇望。多くの人が抱えているだろうけど語られることのなかった気持ちが包み隠さず綴られていて、夢中で読んだ。
一連の 著書の中でもうひとつの大きなテーマでもある実の母親との確執があり、石田さんの実家との関係もあり、石田さんが不在だったり頼れないときは、植本さんは友達、知り合い、保育園、シッターさんを頼る。頼りまくる。そして「頼れる人は別に血がつながっているとか家族じゃなくたっていいんだよね」という。本当にその通りだと思う。
石田さんは、癌に侵され、今年の1月24日に逝去された。奇しくもそれは、私たちの終わりの始まりの日、元夫が自爆テロをしかけてきた日だった。勝手に強烈な因果を感じた。
そして紫原明子「家族無計画」。IT事業家の家入一真さんとの18歳での結婚から、素朴だった夫の成功後の豹変、キャバクラで月2千万円の豪遊、思い余って都知事選へ立候補、そして離婚への顛末とその後の家族のあり方、めちゃくちゃ面白い。若くして専業主婦となった紫原さんは、学歴も社会人経験もなかったけど、人との繋がりから仕事が広がり、ライターとしても活躍されている。自身の子どもたちには、「この経験をネタにしろ。物語のある人間は強いよ」と話しているという。家族にも様々な形がある、ということを自身を使って模索していきたい、という。
だいだいだいだいだい賛成。私は、子どもたちに「普通」なんてない、って教えたい。「平均」なんて幻想だよと。「普通」「人並み」「平均」そんな実体のないただのワードに縛られて、そんな幻の枠に自分を押し込めようと必死になってるうちに、やりたいこともやらないどころか、見つけられもしない人生なんか送ってほしくない。たぶん私は、ずっとそれに縛られていたんだと思う。大概みんなそうだと思うけど。
だけど、鬱の暗黒期を経て、 https://coco-nano.hatenablog.com/entry/2018/06/08/151448
自分は「普通のルート」というものから外れたな、といったん腹をくくることができた。
そして比較的高齢にて結婚、出産して、このままマンション買って、将来はこんな感じなのかな...となんとなく再び普通に照らし合わせたライフコースを思い描いていた。ら、離婚。そうか、そういうこともあるんだよね、と目を覚ました。
人生には、予想もつかない悲しみ、理不尽なことが起こる。突然に。そしてそれを凌駕する喜びも。子どもたちよ、君たちはこんな小さなうちから人生修行ができてラッキーなんだよ。そして、神様は絶対に、もっともっと大きなプレゼントをくれるから。
私たちは、自由。どう生きたっていい。どこにでも行ける。
ココの小学校入学に合わせて来年度から、東京方面に戻ろうと思っている。住居は、離婚前から心引かれていた、シェアハウスしかもはや考えられない。今増えているシングルマザー専用もいいけど、どちらかといえば、多世代型、インターナショナル型がいい。色んな世帯、国籍の人たちと、子どもたちと雑多に暮らしたい。仕事は、ありがたいコネにて、今派遣として勤める広告代理店のグループ会社に来年度から行けそう…なところ。で、その勤務場所であれば、ずっと熱望していた、海のそばに住むことも可能ではないか?海のそばのシェアハウス!もう新生活への希望が満ちあふれすぎて止まらない。7月の連休には、実家近くの東京23区内のシングルマザー専用シェアハウス2軒、横浜のシェアハウス1軒を巡る旅を敢行予定。
シェアハウスなどいろいろぐぐっているうち、坂爪圭吾、ごちゃまぜの家、のブログにたどり着く。はてなブログ初心者の私、ほんとごめんなさい、はてな読者の皆様におかれましては、今さら感甚だしいと思いますが、本当に最近、いばや通信、坂爪圭吾さんの存在を知りまして。なんというか、激しい共感とともにこれでいいのだ!と時代とともに、全て良い方向に向かっている感を覚えて半端ない。坂爪さんも言ってるように、時代は所有より共有。
↑これ、どこかの雑貨屋さんで何気なく買ったやつ。が、読んでみると、人生の標語にしたい言葉たちだった。ドアにかけて、毎日心に刻んでる。子どもたちに教える全てはこれでいいと思ってる。
「正直であれ。」
「約束は守ろう。」
「奉仕しよう。」
「なんでも分けあおう。」
「ハグ&キス」
「一生懸命働こう。」
「優しく話そう。」
「元気だしていこう!」
「マナーを守ろうね。」
「嬉しいことだけ数えよう。」
「新しいことをやってみよう。」
「お祈りしよう。」
「ベストを尽くそう。」
「許すこと。」
「本物であれ。」
「愛すること。」
「大きな夢をもとう。」
シェアハウス巡りの顛末は、また追って...
ラン活と父の日
おはようございます。シングルママ歴4カ月にのMeです。
シングルママにとって、頭を悩ます問題その1、ラン活。
来年小学生になるココ、ラン活戦線、始まっております。1学年上のママ友から、昨年GWにはもう展示会があって注文した、早くしないとお目当て売り切れる...などなど聞いてウソでしょ、と震えたものでした。
時代だなあ...平成も、もう終わるけど。昭和の小学生、女の子は赤、男の子は黒しかなくて、そんな一年も前から色とかデザインとか素材とか縫製がどうとか!バリエーションで悩むなんてあり得なかったのだよ。悩むのは主に親か。昭和の親はもっとテキトーだったからね。私も大変な親バカではあるが、そのへんはテキトーで。いやむしろ、積極的にテキトーにしたい。適当、って適度、ってことですよ。子どもに持たせるもの、そこまで神経質に選ぶ?
思えば、子供が産まれた途端(いや妊娠した途端か)、業者にわ~っと取り囲まれて、あれ買えこれ買え、可愛い我が子のために!とわんさかDMが来て、産後ハイで次々ネット注文したりして。後から冷静に考えると、マタニティ、ベビー関連、すごいマーケットなんだなあ...上手いこと乗せられたなあ、と。
そんなんで、ラン活をちょっと斜めに見てた私ですが。
4月早々に、保育園からパンフレットを持ち帰ったココ、「これがいーの❗」と指差したのは、ターコイズブルーのランドセル。…あら…まあ、なかなか良いじゃない?ドピンク、キラキラとかじゃなくてよかった、なかなかのセンスね…。で、値段は。ちょっとした小旅行並み。うぐぅ。
元夫、離婚後、早速ラン活に言及しており、「ランドセルは俺に買わせろ」と言ってたな。5月の面会時、ココにお目当てに赤丸つけたパンフレット持たせ、「買ってあげるならこれにして。」と。すると、5月末、養育費と一緒にランドセル代振り込んだ、と弁護士さん通じて連絡が。よっしゃあ❗❗❗
つべこべ言う割に、早速買ってるやん。見事に自ら巻き込まれに行ったラン活。まあ、これが結婚してて、家計が一緒だったら、果たしてこの値段設定は妥当か?などもっと吟味してたに違いない。これが離婚ということだな、と改めて思う。
そして、シングルママの頭を悩ます問題その2、父の日。
うちの保育園では、事前に先生から、「今日、父の日のプレゼント制作するんですけど、ココちゃんにそう言ってもいいですか?それとも…」と打診がありました。私は「あー、大丈夫です、どうぞどうぞ!」と。次回の面会日に渡したらいいし。子どもたちにとっては大好きなパパに変わりないからね。それより、ちゃんと先生がこういう風に気を使ってくれたのがありがたいなあ、と。クラスで知ってる限りのシンママはもう一人だけだけど、園全体で見たら、少なからずいるんだろうな。
そして、その日の連絡掲示板には、「今日は、一番大好きな男の人に、ありがとうのプレゼント制作をしました!」と。なんて良い保育園、先生たちなのでしょう…。
昨日、持って帰ってきたのは。パパの似顔絵の裏にお手紙というもの。なんて書いたんだろう、またいっしょにくらそうね、とかだったら何と反応すれば…と一瞬躊躇するも、
「ランドセルのおかねをはらってくれてありがとう」か。イーーーね❗我が子ながら、なんて素晴らしい、空気読んだ絶妙なお手紙だろう。
なんだかしみじみ、ウェットな父の日になりそうにもなく、ホッとしたわ...
離婚理由とか。
こんにちは。シングルマザー歴4ヶ月のMeです。
結婚している間も離婚してからも、ずっともやもやしていた感情を、ずばり整理してくれたような記事を見つけたので、まずはこちらを…
↓ ↓ ↓
シングルマザーが考察する「ワンオペ」と「日本の夫婦」の深い闇(松本 愛) | 現代ビジネス | 講談社(1/4)
私たちが離婚するに至ったのは、直接的には上記のような「夫婦揃ってるのにワンオペだった」が原因ではない。
むしろ、元夫は家事・育児は「やっている方」だと自分で思っていたようだし、私も、まあ、保育園パパの平均くらいか、くらいには思ってた。
だけど、「やっている方」ってなんだ、と。平均、てなんだ、と。
いや、共働きだよ、家事・育児だって50/50がスタンダードでしょうが。
いや、共働きって、それフルタイムだろうとパートだろうと、専業主婦だろうと、給料どっちが多かろうと関係ないから。重い物、半分持って。それ、思いやりだから。
大阪に来て、吸い寄せられるようにできたママ友たちは、やはり同世代、自然と「高齢ママの集い」。大阪中心地ということもあり、旦那さん高所得、ママはもう仕事やりきったし育児に専念、という専業ママも多く。そんなママたちは、はなから家事育児は私、旦那はお金稼いでくればよし、ワンオペがスタンダード、と明確に役割分担し、上手くいってるご家庭も多々。
それはそれで、私がとやかく言うことでもなし。中には、私と同じくフルタイムでも家事育児すべてぜーんぶ引き受け、「いーの、いーの。ダンナは何もしないし。諦めてるから。」と力なく笑うママも。いや、ほんと私がとやかく言うことでもないんだけど、いいの...?ほんとに...?諦めるの...やめようよ!とギリギリしてしまう。
イクメン、てまだまだまだまだ珍種。この言葉を聞かなくなった頃にやっと、夫が家事育児を担うのは当然、て意識が根付いたということになるんでしょうね。
結婚して子供が産まれてからずっと、この問題については、そして結婚・出産後も女が働き続けることの難しさ、まだまだまだまだ根強く残る男女の役割意識の固定化について、悶々と考えていたように思う。
私たちの離婚の原因は、ワンオペでも、DVでも、モラハラでも、浮気でもない。
じゃあ何か?
きっかけは、今年1月末早朝の、まさに寝耳に水、の彼の一言。
「これからも俺と続けていく気あるのか?だったら、浮気やめてくれるか。」
...❗❗❗完全なる言いがかり、でっち上げです。どした、夢見たの?何でそう思ったの?!と肩つかんで揺さぶっても何言っても、「だって、してるやん、ずっと。」の一点張り、テコでも動かず。青天の霹靂、これが終わりの始まり。
ヤバい、ダンナの頭がおかしくなった❗とすぐ義母に助けを求め、彼の実家に避難している間も、彼からの妄言、私への罵詈雑言LINEが止まらない。「家族とおれの前で今までの事を謝罪してもうしませんと誓え。それが嫌なら離婚じゃ。」と。
それはもう、あの気は優しくて力持ち、穏やかで子煩悩で…のあの人に、悪魔が乗り移ったかのような。
夫のことなんですけど、と心療内科に相談にも行った。
だけど、そうこうしてるうちにわかってきた。例えこれが一時的な錯乱状態、妄想、妄言だったとしても。仮に、時間が経って「ごめん、俺の妄想だった!」と霧が晴れたとしても。
そんな妄想を作り上げてぶち壊したいくらい、彼はもうこの結婚生活に疲れはててたんだ。
肥大化した彼の被害妄想、妄言、そしてそれに対する彼の家族のリアクションから浮かび上がってきたのは、彼は私に専業主婦でいてほしかったということ。外の世界を知らず、家庭が世界の全て、献身的に夫を支える妻…そう、自分が生まれ育った家庭のように。
だけど、現実、自分の稼ぎだけでは養えない。嫁は、派遣なのに、しぶしぶどころか楽しそうに働いている。それどころか、もっともっと仕事したい、という。そして、自分はこんなにやってる(つもり)の家事育児がまだまだ足りない、と不満げだ。
…プラス、自営業の経済的なプレッシャーがピークに達して、ぶち壊れてしまった、というのが私の推測。
例えると、結婚して子供が生まれて手に入れた、家庭という名の器。毎日皆でご飯食べて、きれいに洗って大切にしまって。ひび割れが入るたび、丁寧に金継ぎをして、間違って落っことして割ったりしないように、大切に扱っていたつもりだった、私はね。
それを、奴が上からいきなりハンマーで叩き割った。そんな感覚。
何してくれてんねん、と。自爆テロか。
そして、義母の言葉でダメ押し。
「負けるが勝ちや、はいはい、言うて聞いとったらええねん。私らの時代は皆そんなやったで。」
「Meさんだって、引くとこ引かないと。」
「…あの子、寂しかったんやな。体力的にしんどかったのかもしれん。」
「ここ(実家)で一緒に住もう、そして一緒に治していこう。」
「あとは、Meさんがいつ仕事辞めるかやな。しばらく側にいてやらんと。」
…なんで!?なんで!?なんのために!??
無~~~理~~~!!!無理無理無理理!!!!
私は、この両手に子ども達の手をしっかり握って、この沈みゆく泥船から脱出するよ。
そして、離婚した。
晴れ晴れした。私を縛るものがなくなった、と感じた。
私、できるよ。家事も育児も仕事も好きだし。東京(方面)に戻って、家族や友達や行政の力もとことん頼りにして。
この子たちに、絶対に惨めな思いはさせない。養育費はもちろん払ってもらう。滞ったら、地獄の果てまで取り立てに行く。当然だよね。
それはいい。だけど、私が浮気して認めないのが離婚の原因、という妄言だけは撤回してもらわないと。撤回する、の言質さえあれば、きれいさっぱり私の心の暗闇は消えて、新生活への希望だけが残る。
7月、弁護士立会いの元、今後の面会等の取り決めをするにあたり、事前に「当日確認したいこと」として手紙を書き、弁護士さんに預けた。
撤回して、これから良好な関係を築く努力をしましょう、という内容。気持ちを込めながら、相手を追い詰めず、今後の関係に焦点を置いた、我ながら名作が生まれた、と自負している。今後の道筋ができたような、明るい気持ちになった。
これで、あかんかったら、ほんと倒れる。
決戦は7月某日。その時にまた!!
ふしぎなサイクル
こんにちは。シングルママ歴4カ月のMeです。
私が離婚届を出したのは、2018年2月。私の38歳の誕生日に婚姻届を出したのが、2010年9月。ということは、結婚生活は、7年5カ月、まあ、ざっと7年半、としよう。
振り返ってみるに、この7年半という期間が、私のライフサイクルの大きな転換期らしい。
その前の7年半~再生期
派遣社員として東京の某広告代理店に入社してから(私は元は東京の人)。めちゃくちゃ仕事が大好きで頑張って、よしいける、と念願の独り暮らしを始め、更に更に頑張って契約社員になり、正社員まであと一歩、このままシングル人生もありかな、、、というところで。大阪から一時的に東京に来ていた元夫と出会い、何だかんだあって結婚することになり、大好きだった会社を退職して大阪に行くまで。
その前の7年半~暗黒期(ここ、かなりヘビーです)
新卒で入った、第一志望の、入りたくてたまらなかった、映画関連会社。そこで働く希望に満ちた未来を思い描いていた、その会社をたった入社3ヵ月で退職したところから。
原因は、鬱病です。そのころ今ほどメジャーではなかったこの病気、半年間引きこもったのち、ようやく訪れた病院で薬を処方され、そこからは一進一退。躁転して、アルバイトを決めてきては悪化。この間、男女間のトラブルも色々。文字にするのも憚られるが、自殺未遂で入院も数回。
本当に徐々に徐々に回復し、派遣会社数社に登録し、何番目かに紹介された「映画会社がクライアントの広告代理店の営業部」に行く事が決まるまで。
※この期間の事は、また別記事にて、いつか…
その前の7年半~充実期
高校受験で、大好きな先輩がいるという理由で偏差値を血眼で上げて無事第一志望の都立高校に合格。その先輩とは付き合ったり別れたり、ダンス部・チアリーダー(正確には、応援団)とそれはそれは楽しい青春時代を経て。全ての部活や課外活動を引退後、またもや血眼で勉強し、受験料も自分でアルバイトして払った(あの頃は)名門女子大と言われる第一志望に合格。バブルの残り香で遊び、めっちゃバイトして貯めたお金でアメリカ・メイン州にプチ留学も。そして、団塊ジュニア、ロスジェネ1期生の私、数年前の泡がはじけ、急転直下の就職難の中。無謀にも映画業界一本に絞った私、門戸が開かれた少数の会社を受験。なんとなんと第一志望の映画配給・ビデオソフト発売(当時はDVDではない)会社に就職するまで。
その前の7年半...小中学生時代は割愛するとして。
人生山あり谷あり。遡って、充実期(山)⇒暗黒期(谷底)⇒再生期(山)⇒...
ときて、この結婚生活7年半は、なんと表現すればよいだろう。
人生最大の宝、幸せの塊、とも言える2人を授かって、脳内お花畑!と思えるほどの幸せの絶頂から、人生の伴侶と信じてたパートナーとのあり得ない別れ、という結果に終わった時期だから、混沌期(山⇒谷)とでもしておこう。
と、すると、次の7年半は。物事が整理されて、本来の私らしい生き方を取り戻す秩序期 (※混沌の反対語調べた)。山!しかも富士山級のビッグマウンテンとなるに違いない。実際、別れてまず思った事は、
「私たち、これからどこにでも行ける。私の好きなように生きていい。ガールズ、ママを信じてついておいで!」ってこと。
暗黒を彷徨った期間があるからこそ、そして家族・友達・神さまの愛の力で底から這い上がったという実績があるから、あの地獄に比べたら、今回の離婚なんて、まじで大した事ない。そして、こうなったのは、絶対に、次へのもっと素晴らしい未来のためって信じてるから。
次の7年半が終わるころ、私は52~3歳。私たちGLOW世代の星、今のキョンキョン=小泉今日子と同い年よ!そう思うとわくわくするね。まだまだ、いける、って。
2012年、2014年の小泉今日子・中井貴一主演、湘南が舞台のドラマ『最後から2番目の恋』大好きだったんだけど。
私もサーファーでもないのに湘南大好き、大阪に住んでから定期的に海補給しなきゃ…と帰省のたびに、まずは新横浜で降り、湘南に住む大学時代の友人ファミリーを中心に、今年も海の家で集合!みたいな流れになっていて。
先日のGWも行ってきました、逗子海岸。ちょうど開催していた逗子海岸映画祭へ。
フェリーニ、ゴダールみたいなモノクロのフランス映画の移動遊園地のような世界観にうっとり... イーね!最高!ワイン呑もう、買ってくるね!と屋台のワインバーへ。
そこに、アート系小太り丸メガネ、推定30代半ば男子が近付いてきて…
「すっごく綺麗な方ですよね~。飲みましょう、奢りますよ!」
「…ありがとう、もう頼んじゃったから、ふふ。(余裕ぶった薄笑い。内心、『キタキタ~!』とめっちゃ上がってる)」
そうだよね、私まだまだいけてる、ってか、一番良い時じゃない?なんて一瞬で調子に乗りまくる。
「僕よりだいぶ年上ですよね~」
「うん、そうだろうねぇ。。。(まだ余裕)」
「52歳くらいですか?」
「…!!!っと友達が待ってるんで、じゃ!」
…と友人の元に駆け寄り、「聞いてよ!!上げて上げて、落とされたよ~!!」と大笑いするも、現在45歳のMe、あり得ない、ってテイで笑い話にしたものの、ふと今、いや、30代半ばにとっては、45歳も52歳も大して変わらないのかも、そして暗かったし、フツーにそう見えただけか…と気付く。
うーん。キョンキョンと同じってことで、いっか。
私の7年半後…何があろうと、外見はこのままを維持していますように!